「さっきはありがとう」
と言うと、船頭は笑った。ほんと、ばかなんだから!
「かわいい、なんて言っちゃうんだもの!」
こわい、って言ったのよ!と訂正すると、やはり船頭は笑顔でいた。
「だれをみていたの?」
「……ああ、あのへんの席の、」
「どっちをみていたの?」
「……前のほう」
船頭は、ほんとに!と楽しそうに笑った。そして、そのままの顔で言う。
「この間の三時間目、貝と話していたでしょう?」
「話していたけれど、」
「見ていたよ、彼女。―― ちゃんを。こう、ノートを見るふりをしてね」
その言葉すら、私を動揺させない。私はマフラーの先に触りながら、心から言った。
「ほんとうに、あなたは勘が良い!」
「ね、偶然気づいちゃったんだよね」
船頭はいたずらっ子のように――ただし、心臓とは違うふうにけらけら笑った。
きっと彼女もこわいのだ。私と彼女は違うけれど。
ただかつての私のように悩まなければ良いと思った。
「私と貝はね、美術の話をしていただけなんだけれどね」
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