気が付けば、その呼称は定着していた。気が付けば、意図的に変えたことにしていた。 と、呼んで良いんだよ。そう言って私を許したのはKだけで、他の人間はそんなことは許さなかった。
さん。私は彼女に責められねばならない。
意図的にそうしているのだ、と、私は忘却の河辺を歩きながら言う。私は呼ばないようにしているのだ。
忘却の河を眺めると、過去は一層鮮明に描き出されて、やはりそれは色褪せてなどいないな、と、私は考える。
その時彼女は怒っていて、私ももちろん怒っていた。なんで、“さん”なの。彼女は言った。意図など全て判っている、とでも言うように。
。****。**。
ただその時彼女は、初めて他人ではなかった。私が常に総てを晒していながら、それでも他人だと思っていた一方で、彼女はそんな場所すら与えない。
もう私の言葉は、彼女の表面にすら届かない。
気まずいのかな、と、彼女の顔をした靄が言った。そういうことになっているのか、と、私は私の後ろから私を見る。そんなことはない、あまりに長く、そう呼びすぎただけなんだろう。そう信じながらも裏腹に、私は彼女を呼ばなかった。
練習しましょう、 サン。
きっと意図など含まれていない。今の私は、河に映った私と大差のない顔をしているのだ。
呼ばないのではなく呼べなくなってしまった。そんなことは知らずに、気が付けば私は、賽の河原で石を積んでいる。
あの時、あの時、私は焦っていて、彼女は確かに微笑んでいた。なんで、“さん”なの。彼女は私に優しく言う。君のことは判っている、と、言葉の底には秘めながらも。私の言葉を聞くために。
私は昔皆のことをそう呼んでいたんです。
それは、誰の言葉だったのか。その答えを石にして、私はまたひとつ、賽の河原に石を積んだ。
満月を繰り返して尚、過去は未だ鮮やかで、忘却の河を眺めながら私は、安心したように笑っていた。
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