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それでも君を*****。

(愛か恋かも分からないけれど)

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10月16日 ラスト・ダンス/道化師

後で後悔するよ、行きなよ、と、何も知らない狐は私に言った。好意から来るそれは、単に過去と今を繋ぎ合わせただけのことだった。「ほら、そこにいるよ!」


歪な顔で彼女に近づいた。

考えていた文句も台詞も全部忘れて、わざとらしく面白そうな声をだして、――さん、と名前を呼んだ。
考える時間が欲しかった。唐突に行われることに、私は滅法弱い。「それと、あと、紫をちょうだい!」。彼女が手に持っている桃色を指さしながら言う。ひどく苦しい。彼女の反応も自分の行動も。無性に泣きたかった。口が言葉を発していたが、もう、自分が何を言っているのかも分からなかった。


こんなことが昔もあった。その時も後悔した。それで何度も涙を流した。
雰囲気に流される、意志薄弱な私が悪い。ワタヌキはそう言う意味で、言葉を使ったのだ。


あまり考えすぎない方が良いよ、と、気の毒そうに言った。

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10月16日 五分の一世紀の孤独

帰宅。

鞄を開けると、覚えのある匂いがした。体操着か、それとも菓子か。否、違う。彼女からもらった桃色から、それはしていた。
人工的な香り。人為的な香り。どこか懐かしい気がする、彼女の匂いだと思った。
私は一瞬充たされた気持ちになり、静かにそれを吸い込む。

彼女はそれを渡す、誰かのためにつけたのだろう。誰かのために。何かに気を遣う彼女など、彼女らしくない、と、違和感を覚えて私は笑う。彼女に頼んだ後輩を想像する。

その時何故か唐突に、私は彼女にもらった時のことを思い出していた。綺麗に纏めた荷物を背負っていて、彼女は一人で立っていて、脆い桃色一つだけ、晒して手に持っていた。(もしかしたら)

(あの時彼女は、私に渡そうとしていたんじゃないのか)

一つだけ持った桃色を。私に。


そして私は、この覚えのある香りを、どこで知ったのか思い出してしまった。半年前の水色だ。赤と同じじゃない。洗剤なんかじゃない。彼女は、あの時と同じように、今と同じように、香水をふったのだ。誰かのために。誰かの、ために。


彼女はどんな気持ちでいたのだろう。ひとりでそうする彼女を想像したら、茫漠とした虚構が触ってきて、私はまた、泣きたくなってしまった。如何ともし難い感情が押し寄せて来て、胸がいっぱいになった。隔てる物がなくなり、さらけ出して、触れられない、触れてはいけない、細かい彼女の機微の霧を、半身に浴びてしまった。それは肌につくと、形を無くして消えた。

彼女の回りに、ぽっかりと開いた空洞が見えた。それは私の中にあるものと同じだった。ブラックホールのように全てを吸い込み、誰も近づかせない。その空洞は、生きる人間全てが持つ、どうしようもない孤独だった。


(それでも、彼女も私も、人間は、孤独でないと言い張る。機微に以外に、触れるものはないというのに。それすら、真の形などないというのに。その全てを、誰かの手のひらが包んでいると、盲信しているのだ。)


空洞の存在に気付いた私は同時に、人と人とは、決して分かり合うことはないという事実も、認めなければならなかった。
微かな感情を感じることさえ、虚無しか残さないというのに、ましてや繋がることなど、できるはずもない。

しめった桃色を顔に近づける。香りはもう、消えていた。

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10月16日 ラスト・ダンス

私にぴったりとくっいていたそれは、今度は私をしっかりと抱きしめていた。その温度を全身に感じながら、初めて私は、自分からその手に触れた。生冷たい感触がした。

それの正体を、私は静かに悟った。形がなくて、それでも確かに触れてくるそれは、どうしようもない、寂しさだった。

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10月20日 冷却する熱を持った手

なんでもできる気がして、私は東に手を伸ばしかけていた。

(頂戴、東)

私の真ん中を何かが掴んで、ぐい、と引きずり戻した。上がりかけた精神が、またマイナスに進行を始める。もう一歩も動けなくなっていた。
人はそれを理性と呼ぶのかもしれない。だが私は、私を掴んだそれは、ワタヌキの手だと思った。

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10月23日 一本の箸、二本の杖


「彼女は――彼女は、私がオアシスに頼んだから、おこっているの、?」



朝御飯のパンは焦げていて、一分走って忘れ物を思い出し、アスファルトの凹凸に邪魔をされ、二本電車を見逃してから、学校に着いたのは十分も遅かった。人のいるところには入りにくい。勿論遅刻ではないのだが、閑散とした教室が好きな私は些か沈んだ気持ちで扉を開ける。教室には一人、人がいた。(おかしいな。エースと筆が居る筈なのに)
珍しいことに、エースがいない。一番にいる筆もいない。二人きり。星しかいなかった。
席につき、突如として素早い回転をした思案を経て、しかしそれでも、至極単純で無意味な疑問を、私は発していたのだ。



「彼女は――彼女は、私がオアシスに頼んだから、おこっているの、?」

おこっているの?星は意外そうに靄のような声を出した。普段はっきりとものを言うが、あまり親交の無い人間に話す時だとか、困っている時、遠慮がある時、に、星はそんな声を出した、気がする。分からないけれど。おこっていないかもしれない。ちがうかもしれないわ。わからない。

どうして、どうして、と星は繰り返すが、その答えを持ち合わせていなかった私は、シンプルな疑問をまた投げ掛けるしかなかった。

「何か……聞いていない――?」
「いやなにも!」

星ははっきりと否定をする。そして、「おこっているのか、」と逆に納得をするのだ。(違うのか、私はまた間違えたのか、ああ、わたしは。それすら信じられないなんて)


「――そうは言っても、私のことは知っているでしょう?」
笑いながら言うと、少しはね、と星も笑う。靄は晴れている。


いつのまにか下を向いて考え事をしていたようで、なやんでいるの、と星が聞いた。そうでもない、と私は首を捻る。ふ、と、誰かと話している時には珍しく、微かな自己嫌悪感が浮かんできて、私はぐ、と目を閉じた。これは甘えだ。優しい人に、他人行儀に、私はどっぷり浸かっているのだ。
たまらなくなって、ごめん、と謝ると、星は謝罪の意味を取り違え、「本当に、何も聞いていないよ、」と心配そうに付け加える。


いい人だね、星は。いい人だね。私は心から言う。ありがとう、と星は言う。「わたし、星のも、ほしいなあ――、」。
つい、と視線を落としながら私は言った。舌の根も乾かぬうちに言った。

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10月26日 質疑応答

質問を最後まで黙って聞いた後、相手が言いきるのを待つように一呼吸置く。ぽつぽつと事実を述べながら、二度まばたきをする。目を閉じた時に重なる睫毛だとか、どこか遠くを見るような表情だとか、型にはまったそれら、四年前から変わらない形が視野の端に引っ掛かると、どうしようもなくぞくりとして、逃げ出したい気分にかられてしまった。用件を述べ終え背を向ける私にどうして、と言葉が投げ掛けられ、素敵だったから、と返事をしながら振り返った。
「ああ、ええと、見に行ったのよ」
「そうなの――どのへんが素敵だったの?」
壁に体を預ける彼女はまるで私と会話をしているようで、それでも、そこでも、状況を肯定的に受け入れた私は黙って去ることはできなかった。負の感情は全て霧散していて、ただ無感動に処理をしていた。うまく笑えていたのだろうか、私は。ただ、早くオアシスと桜のところに帰りたかった。

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10月26日 流星のダスト・シュート 1

またわらわれる。わらわれるわ。黄色は、大丈夫だよ。と言う。


「お、そろそろ帰りそうだ」
「――ああ、本当だ――じゃあ、私も帰ることにするよ」
軽く手を上げて背をむけると、がんばれよ、というように黄色は拳を作った。自分が何をしたいのかも分からなかったが、ただ、何かのためにのんびり歩く気にもなれず、いつものように、かつてヤマトが速すぎる、と言ったように、足を動かしていた。
「おかしい――おかしいよなあ」
彼女は変だ。先週から、何かが。


「どうしたんだろう。何のために残っているんだ?」
彼女は遅くまで残る人ではないよなあ、と、黄色は言った。不審だ。なんだ。またわらおうって言うのか。などと、相変わらず恐怖が勝り、嫌な想像がふつふつと浮かぶ。その正否がどうであれ、なにかをするわけでもしないわけでもないのだが。焦点を定めずにそちらのほうを眺めていると、星と目があった。
(星。あなたは、)
彼女は黒い鞄を手に持ち、談笑をしている。


湿った人混みにのらりくらりと乗っかっていると、すでに駅に着いていた。傘を閉じて雨水を払う。払った水滴が予想以上に飛び散ってしまい、眉を下げながら、僅かに後ろに視線を流すと、黒い鞄が見え、私の身体は凍りついた。


(『ねえ、いっしょに帰りましょう。帰るひとがいないのなら、私といっしょに帰りましょう。待っていた人においていかれたのなら、私といっしょに。』)

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10月26日 流星のダスト・シュート 2

「誰か待ってるの?」
「ううん、ちがうよ」
後ろ髪を引かれるように首を捻りながら私は言った。船頭はいつものように屈託なく笑う。旧友達に特有のあの笑い方だったが、そう感じさせないだけの説得力が船頭にはあった。
反対側のホームに目をやると、同じ制服が階段を降りていて、目を細めて私は言った。

「あれは、彼女じゃないかな」
「ああ、本当だ。おおい――流石に、気付かないな」
予想に反して船頭は大きな声を出さなかった。思慮深いし、良識があるのだ。心臓のお墨付きでもある。
彼女は当然だがこちらには目もくれず、死角に入り込んだ。勿論私は彼女がこちらに気付かないと確信していたし、彼女もこちらを見る気などなかったはずだった。

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10月23日 逃げる糸みみず

――だから、おかしいだろう。と、矛盾を指摘したところで何かを向上出来るわけではなかった。指摘したところで何かが変わるわけでも無かった。仮令何かが変わるのだとしても、私はそれを取り沙汰することはしまい。体力も気力も残っていない。それをぶつけることは出来ないだろうし、またしない。そして、誰が。誰が。そんなことをするものか! 見当違いも甚だしい。私にそんな権利があるものか。この私に。
悪いのは私だ。彼女は無実だ。ああ、でも、どうして。どうして。


「そう言ったということは、本当は分かっているんじゃないのか――」
それすら確信を持たないままで、私はむかしを思い出す。

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10月25日 そして私は、盲信している振り をする

「……の」
「え?」
「熊は知っているんだよね」
「ええ」
「直線も……?」
「知りませんけれど、ドラムが言っているんじゃないんでしょうか」
「……熊はきっと……」
「え?」
「……いやなんでもない。ごめん最近病んでいて」


辺りは暗かった。

こんなとき、たとえば彼女ならなんというのだろう。私は思う。おそらく何も言わない。一番美しい他人行儀な言葉で、一番波風の立たない一般論を言うのだろう。然しそれは海先生のような大人の対応とはまた異質だ。だからといって幼いわけでもなくて、むしろ海先生以上にシビアでクールなそれを、私は悪いとは思わない。それは時に人を迷わせるけれど。その代わり盲信しているわけでもないな、と、今はそう思えるようになった。


「私が言うのもなんですが、気にしない方が良いですよ」


私は心から言った。
熊もドラムも直線も、悪い人じゃあない。知ったからといって、誰も悪いようにはしないだろうに、何をそんなに恐れるのだ。

今回は倣ったわけではなかったが、それは奇しくも、彼女が私に言った言葉と同じものだった。



(彼女と同じなら、それはきっと間違いではないのだ)

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