観客席は閑散としていた。
遠慮がちで配慮のある私の後輩は、きっと今は来ない。そして人に厳しい彼女は、一列前で身辺整理をしている。
ペットボトルの蓋を捻りながら、私は漠然と狐と良心の話を反芻していた。能動的な二人に感謝をしながら。私の後輩に思いを馳せながら。
「――さん」
「――――なに?」
その声と間の開け方は、話しかけられることを予想していたニュアンスを含んでいた。
「後輩さんに頼まれましたか?」
「一つ――一個下に――ね」
斜め下を見ながら話す。最後に目を見る。身体を動かす。笑みを貼り付ける。意味と含みとシナリオのある会話をするとき、彼女は特にそうだった。用意していた言葉を間を見て打ち込むような。そして相手の言葉を待つ。
私は、そう、と会話にサイレンサーで終止符を打ちこむと、また例の話を反芻し始めた。が、あまり頭に入って来ず、気がつけばぼんやりと別の思考が侵食してきていた。
(なら、いいじゃないか。無理をしなくても。嫌いな人間に貰われなくたって。彼女を好きで、彼女が好きな人間がいて、頼まれているなら、それでいいじゃないか。)
――サン。と何かを言いたくて声を発したが、運悪く旧友の声と重なり、一歩退いた私はそのまま遠くへ去っていった。そして言いたかった言葉も、どこかへ去っていってしまった。
(恐らく私はもう、全力で走ることができないのだ。だから、嗚呼。私はただ、)
(私はただ、あなたのおぼしめすままに)
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