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それでも君を*****。

(愛か恋かも分からないけれど)

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6月20日14 時15分裏切り者はエースの足を洗う

勝ちに執着している。
赤はクールな顔をして、そのくせ激情を迸らせていた。

私は、赤に共感した。
そして、努力が才能に勝つところを、やる気が慢心を打ち負かすところを、チームが個に勝るところを、見てみたくなった。

「おしえてあげる」

しかしそれは傲慢だ。私はそれでもエースは負けないと思っているし、だからこそ言ったのだから。
私は両方を裏切った。
矛盾だ。


私は実のある勝負をしたいし、エースや世紀や永遠が、あとほんの少しでも危機感を持てば良いと思っている。

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6月19日

オアシスが言った。「コレクターなの?」
「え、ああ、今は東だけ」
そういえば、順序として間違っている気がした。
「よし、頼んでくる」
いつだって唐突だ。
「いってらっしゃい」



「――頂戴」
「え?」
「今年も、紫」
「ああ、いいよ」
「昨日うっかり東に頼んでしまって」
「いいと思うよ」
「別にいいよね?別にいいよね?ふたまたじゃないよね?」

会話は雀とKに阻まれてしまった。頭にのせた掌に体重をかけると、「重いよ」。かけられる言葉に呑まれてしまった。

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6月22日14時 軽躁鬱病患者の戯言

個々が纏まり、一つの共同体となり、それがまるで意思を持ったようにうねうねと動いている。
私はその中の、欠くことのできる一部ではあるけれど、とても気持ちの良いものだった。


(ボールを追いかけて永遠の体にぶつかったり、ゴールを守ろうとしてエースと近くなったり、星の質問に答えたり、船頭に説明したり、世紀に確認をとったり、梨に外から声をかけたり)


私はエースがいかに素晴らしくシュートを決めるか考え、永遠がリバウンドを取りやすいように、ゴール下を綺麗にしておく。

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6月23日13 時 永遠の無邪気さにあてられる

永遠は笑った。「無駄にならなくて良かったね!」
私は笑った。手を伝って水が滴り落ちていた。前を向くと鏡に映った自分の顔があまりにも幸せそうで、戦慄した。
(彼女もそうなのだろうか?こんなのは、辛すぎる)



「なあに」
「ねむいの」
「だれが?」
「わたしが」
「ホームルームねちゃいなよ」
「単語覚えなきゃいけないの、」

彼女も、そうなのだろうか?

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◇登場人物/大会物語

◇味方…王者の孤独
 エース:エース
 永遠:無邪気
 世紀:ゲームメイカー

 船頭:ムードメイカー
 星:運動神経
 梨:話題

 心臓:校庭観察
 彼女:声出し
 

◇敵…這い上がる気迫
 東:協定加入者
 
 赤:情熱
 浅:しっかり者

 狐:技術家
 太陽:努力家
 白:癒し

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6月24日15時36分 現金な神の人間堕落論

なんの躊躇いもなく彼女と帰った。話題を見つけなくてはならないのが些かしんどかったが、それは彼女でなくても同じだった。

彼女は、変わった。色々な意味で、変わった。(少なくともかつての彼女は、そのように媚びた話し方をしなかった)
私に対して対処に困って取り敢えず笑うような、そんな彼女は、どこに行ったのだろう。否、私はその答えを知っている。彼女は、キャラメル達に地図を見せられたのだ。その地図が正しいのかどうかは、誰にも分からないのだけれど。


現状は間違いなく進歩であるのに、思い出しては過去を美化している。全てを知っていて、知らないふりをしていて、それでもなお私に手を差しのべた、あの圧倒的高みから注がれた狡い優しさに、もう一度漬かってみたくなるのだ。

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6月25日14時 警戒レベルとテンションに反比例する、

エースの首輪を引っ張った。
ぐう、とか変な声を出して笑った。笑ったままだった。それは永遠も同じで、世紀や他の友人にするように接した。(滅茶苦茶に触るものだから私は動揺して、そして梨や星が笑った。)

エースのそれと、永遠のそれは聊か意味合いが違う。
永遠は恐らく性格故だが、エースはそれが意識され性格としてかためられたゆえの性格なのだろう。
王者の孤独。彼女は、そう赤が言うように馬鹿ではないし、私はひょうきんと言われる彼女と、彼女の曇りガラスを通したような内面とのギャップに、違和感を感じている。
いつだってそうだった。上に立つ者は孤独だった。彼女もおそらくそうだったし、建前上で言えば私もキャラメルもそうだったではないか。
しかし私は、彼女を助けることが出来なかった、(あるいは助けるべきではなかった)ように、エースに何か干渉するべきではない。ただ後ろから彼女のためのパスを出し、彼女のためのリバウンドをとるのだ。そして彼女が内向的にならないように少しの気を配るだけだ。



彼女はしらばっくれた。私はただ、頑張る、と言った。
また他人任せ、と笑う彼女にこちらのチームの遠慮というものを理解して欲しいとは思わない。「私はエースのフォローをする」と嘯く。彼女と約束することとモチベーションに、今最早因果関係は見出せない気がしたが、ただなんとなく、彼女の頭を撫でた。東にそうするのと同じように、その行為そのものに意味は無くて、ただ人寂しいだけなのだろう。
 

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6月26日船頭多くして船山に登る

エースのジャージを引っ張った。
振り返って、に、と笑ったものだから、私は舌を出した。エースも舌を出した。笑っていた。

優しさに甘えて、それで簡単に作られる人間関係は、他人行儀な優しさ、そして社交事例であるが、果たして幸せなのだろうか?
私はエースを観察している。永遠を観察している。感情が含まれないからこそ楽なのだ。(執着は敗北だ)狐や世紀の話を私は生かさなければならない。

二人のエースが潰れなければ良い。私にはエースに
言うことがあった。





その放課後、ぼんやりとバレーを見ていると、「どうもです!」と、エースが呼んだ。私は、気がつかなかった。見られていると思ったのだろうか?見ていたのだろうか?全く気がつかなかった。確かに私は味方に絡みすぎた。

エースは笑い続ける。彼女は非常に内向的だ。



彼女は私の眼鏡をかけて、梨の眼鏡をかけた。眼鏡を変えれば良いのに、と思ったが、今のままで良いと思い直した。
此方をむいてハートを作った旧友に、半ばやけくそのように手を振った。
べたべたとして、何がしたいのが訳が分からない。ただ、早々に戦線離脱した彼女は賢かったと思った。

梨も星も勿体無い。
私は、赤か狐のチームであったら、きっとこのやる気も空回らなかったろうに。




「正直やりがいがないのです」
「どうして?」
「エースや永遠が入れてしまうから。私が頑張らなくても勝ててしまうんです」
「でも、「――――――」
思いの外彼女は深刻に受け取ったようで、彼女は困ったように話し出そうとしたから、それに被せるように私はまた、話し始めた。

彼女に理解できても、それは無意味だった。

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6月27日12 時30分 あしがかりになるなど堪えられまい

「簡単だよ!こうやって振り返って―、ちゅ、ってすれば良いんだよ!」無邪気に言った永遠の言葉は、様々な方向から突っ込みを受けた。 エースは本屋で立ち読みをしたらしい。此方にも気をかけてくれていたのだ。嬉しかった。(そう、昨日思い悩んでいたことの答えだ) (良かった、からまわっていない)
しかしそのような素振りを全く見せないわけだから、エースはやっぱりエースだった。



彼女に抱きついて、べったりと甘えていた。「愛されすぎだ!」と友人たちは笑った。
不思議なことに、久しぶりに幸福を感じた。彼女は小さかった。愛すべき対象が欲しいだけなのなら、私は彼女から離れるべきだ。
近づいた以上は、もう癒しにはなれまい。もう彼女に近づく理由は無くなったのに、まだこのようなことをしているのは、きっと色々な意味で疲れているからだ。

やはり私は距離をとるのが苦手だ。他の友人なら直ぐにでも去っている場面で、ぐだぐだと足踏みをしている。
(甘えなどいらないと願ったのに、まだ私は、)



「近い、近い!」
永遠と世紀が笑って、梨がからかった。
どうにも苦手なのだ。精神的な距離は肉体的な距離と比例するわけだから、距離をつめられるとどうにも焦ってしまう。しかし自分から距離をつめられるのは、やっぱりこれも、疲れているからなのだ。

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6月28日 君がやめろというまで殴るのを止めない

久しぶりに昔のことを思い出していた。黄色や幸せや太陽がいた頃の話だ。
あのころの私は幸せであり、それゆえ不幸であったのは間違いない。(同様に不幸であるゆえ幸せだったのだが、それを言い出したらきりがない)
そして急に不安になったのだ。間違っていたのは、果たして私だけだったのだろうか、と。


『私は    の優しさに 甘えている気がする』
『一人くらいは そんな人がいても いいとおもう』


私が何かに気づくのは、それが手遅れになってからで、私は信じるべきだったのかもしれない。たとえそれで実害を被ろうとも、私自身が手遅れになろうとも、それでも、信じるべきなのだろう。

優しさや自己犠牲というものは、何のかかわりの無い人間にむけられるもので、それは、かかわりを持った時点で、何らかの利害関係が生じるからに違いないのだ。


『――――ありがとう』


絶対的なものなどない。
友人は選ぶべきだ、と言ったのはどの偉人だったか。
朱に交われば赤くなる、という偉人がいたということは、その言葉も、同様に重んじられるべき逆説なのだろう。


あの時のことを私は今でも覚えている。しかし私はそれを忘れた振りをしている。
それは彼女が持つ決定的な切り札で、私は彼女が、それをどこに仕舞ったのか、問ただしはしないのだ。


投げかけられる数多の言葉の、どれを信じるかを決めるのは自分自身だ。信じる力を奪われていようとも、疑う力を盗られていようとも、それでも、最期に決めるのは、自分自身しかいない。私は、自分の見たこと聞いたこと以外信じない。そうしなくてはいけない。






「     」
「なに、」
「これ」
「ああ、」

「ありがとう!」

私はその時の笑顔を覚えていた。
私の机に向かってくる彼女の、躊躇いがちで、でも堂々とした足取りや、顔の動かし方、口角の上げ方、細められた目、差し出された手――
どれをとっても親密などと言う言葉は似合わず、しかしそれでも疎、ということではなく、手を伸ばした90センチ先にいるような、後ろ向きにギャロップをするような、不安定さ(若しくはすれ違いざまに視線があうような、ぶつかりかけたベクトル)
そんなかつての感覚が、今でも私を動かしている。今や、それは過去のことだというのに。

それはチョコレートの匂いが充満する、一年前の冬のことだった。

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