お前は躁鬱に見える、と幸せは言った。「躁鬱?」
「というか、まわりからもそう見えている」
幸せは、優しかった。私が一人になるたびに此処にどろどろしたものを吐いていると言うのに。甘い。みんな。喉が焼けるように甘い。だから私は、
(だから私はむしろ見捨てて欲しいんだ)
一番醜い感情を内包しているのは私で、それを取り繕うと必死でもがいている。自分が可愛いくせに、他人のために剣を翳すから、怪我をする。
今は、穏やかな気持ちだ。辛いのに辛くない。受け入れている。このように幸せと話している間は。
でも、駄目なのだ。この繋がりが切れた瞬間から、じわじわと黒いほうの私が侵食してくる。
この瞬間は、私であることに間違いないのに、明日のこの時間に今の私でいられる自信がない。
今日の私も明日の私も、非常に刹那的だ。一貫した私はどこにも居ないのだ。
おそらく誰かと繋がり続けていられるのなら、私は優しい私のままずっと居られるのだろう。でもそれは出来るはずが無いのだから、意味が無い。
躁状態の私と、鬱状態の私がいたとして、どちらも私であることに違いは無い。
躁の私に躁だと言い、鬱の私に鬱だという友人達は、どんな私を求めているのだろう。
ふと、自分が分からなくなってしまったキャラメルさんを思い出した。
私はただ、彼女を思っていたときのように、優しい気持ちでいたかっただけなのに、誰も、彼女さえもそれを許してくれないのだ。
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