ああ、宙ぶらりんだ。
一番廊下に近い列の、前から二番目に座っている彼女をみて私は思った。
彼女の次の行動を予想してみる。一、いつも昼を共にしている二人に声をかける。二、同部活の友人達(素晴らしいことに、普段喋っているところを見たことがない!)に声をかける。三、一昨年仲が良くて、今年再会したあの友人に声をかける。
勿論その選択肢の中に旧友と私はいない。それぞれ理由は違うけれど。
彼女の動向を観察するのは、親が子を見守るのにも、狼が羊を狙うのにも似ていた。
予想は一。大穴は二。観察に忙しくて、自分が所属する集団の話を私は全く聞いていない。それができるのは彼女達との間にそれなりの信頼関係を築けている(と、信じている)からで、私は彼女達に感謝をしている。
「いれてもらえますか?」「あれ、」
「あっちはあっちでできているから、」
後ろで交わされる会話を、私ははっきり聞いた。皮肉にも真後ろだった。三。予想通り。特に驚くような結果ではなかった。
戸惑ったような空気も、こちらにくる直前の視線も、皆一様に淡々と私の肌を刺す。「でも、まあ、彼女は皆と仲が良いタイプの人間だから、」いつか旧友が言った言葉と、彼女自身が言った言葉とが木霊する。
かつての私がそうだったように、本人が良ければそれで良いのかもしれない。むしろ、そうであるべきだ。しかし、それでも漠然とした引っ掛かりがあるのは、おそらく私の性格と彼女へのわけのわからない感情が原因に違いない。
「そう。さみしくないの、ってよく聞かれるけど。全然へいきなんだ、ひとりでも」
様々な人間関係の構築方法がある。ジョーカーや雀や円周率や、そして彼女のような。どれも間違ってなどいないはずだ。誰にもそれらを否定する権利などない。 あってはならない。
ふと、去年のことを思い出した。可愛い二人組みと、それから彼女と。三人。
ああそうだ、私はただ、ひとりでいる彼女を見たく無かっただけのだ。髪を撫でるのも、なにかと気にしたのも。
でも私はこの集団に属している限り、永遠に彼女を、そう、恩着せがましく言うなら、助けることなどできないのだ。私が一人になるか、彼女に惨めな思いをさせるかの二択しかない。
しかし一方で、私などに助けられる彼女は見たくないかもしれない、などと思っているのだから始末におえない。私が気にするのはやはり世間体なのだ。
彼女に対するわけのわからない感情と、「傍ら痛し」。どちらが先にあったか私は知っている。知っているからこそ、身動きが取れなくなったのだと、その場では気付かないふりをしていた。