「かまをかけたんだ」
「かま?」
「誕生日にね、『大好きです』ってメールした。分かっててメールした。その返信がね……うん、やっぱり、かかったなあって」
「……」
不思議と心は冴えていた。怒りもわかなければ、悲しみもなかった。
「しってる。私はね、誕生日のお祝いをするために、その時辛さと一緒にいたんだ」
今でも覚えている。
「丁度お昼ご飯を食べているときで、辛さは凄く喜んでいたよ」
奈良からメールが来た、それだけで、ポーカー・フェイスである辛さの口角が微かに揺れた。
スクロール、スクロール。私は、料理と辛さを4:6で見守る。スクロール。そして辛さは液晶から目を離さずに言った。
「……それで、むしろ私がテンション上がっちゃってさ。料理とか、全部奢る勢いで……ね、いたんだよ!」
わざとらしく面白い声を出したが、奈良は黙っていた。しん、と沈黙がのしかかって、それを誤魔化すようにばたばたと足を動かすと、余計に夜がクリアに部屋を包む。ああ、 。奈良と彼女が一瞬重なって、コップが揺れて水が零れた。ぱしゃり。ああ、折角忘れていたのに。 彼女、ワタヌキ、雀、飛鳥、幸せ、黄色、ドラム、心臓、星。
慎重にコップを元の位置に戻して、慎重に水滴を拭いとる。慎重に慎重に言葉を発する。そうでなければいいと願いながら。
「……面白がっていたの?」
脳裏には沢山の人間が焼き付いていて、フラッシュカードのように今も点滅していた。円周率、狐、雀、飛鳥、幸せ、黄色、アート、そして、辛さ。
「……目的を達成したときの、達成感はあるけれど、そういうことでは、ないよ」
「うん、そうか。ならいいんだ、ならいいんだ……」
達成感と面白がりの違いも、善意と悪意の違いも、他人行儀と他人の違いもわからなくて、私はただ奈良を、悩み多き人間だ、と思うことにした。それ以外の形容はできなかった。「彼女もかまをかけたよ、奈良だけじゃない、奈良だけじゃないんだ――」 。それは全く褒められたことではないが、奈良を責める気にはなれなかった。
今はただ、奈良が面白がっていなかったことに安堵するばかりで、それ以外のことは至極些細なことに感じられる。
「わかっちゃうんだよ。私。もう、『特技は人間観察』って言ったほうがいいや」
「知っていたの、その、辛さが、?」
「なんとなく思っていたけれど、確信はなかった。メールではっきりしたんだよ……」
スクロール。長いこと画面を眺めた後、画面から目を離さずに、深く溜め息を吐いて辛さは言ったのだ。
「長かった」
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