昔、私には嫌いな言葉があった。いろけづく、という言葉だ。それに近いニュアンスを含んでいる言葉も嫌いだった。にきび、声変わり、胸、**、**、***、等々。正確に言えば二次成長的なものに嫌悪感を感じたようで、性的なものへの嫌悪は、その中に含まれた。
話題にすることすら嫌だったが、それ以上にそれらを指摘されることに、強い羞恥を感じ、そのたびに、その場から逃げ出したい気持ちにかられた。耳にすることすら嫌だった。
そのようなものへの嫌悪は誰にでもあるものだとわかっていたし、実際そうだったのではないかと思う。しかし私のそれは、いささか度を越していた。
色気がある人が嫌いなわけでも、そのような言葉を発する人が嫌いなわけでもない。厭なのは言葉そのものとそれに内包されるイメージだ。いつだって人に罪はなかった。
成長して、段々そのような言葉に慣れていった。
しかし、その代わりに別のものに苦手意識を感じるようになった。変化だ。
石鹸の匂いしかしなかった級友から香水の匂いがしたとき、化粧っ気のなかった級友にアイラインを見つけたとき。私は見てはいけないものを見てしまったような羞恥と、形容し難い気まずさに襲われた。それは、要素がその人に定着するまで続いた。
子供だったものが周囲や異性の目を意識して性を含んだ大人になるそのプロセスを不得手と感じるようだった。
それは、自身に対しては一層強かった。だから適当な理由をつけてスカートは膝下を保って、いつまでも丈の短い靴下を履いて、なんとかそのような変化を悟らせないようにした。しかしだからといって、私は授かった性が厭なわけでも、性別を変えたいわけでもなかった。むしろその一方で、本当は短くて可愛いスカートを履きたいし、綺麗なピンで髪を留めたい、などと思っていたのだ。
今でもそのジレンマに襲われている。
きっと私のジェンダーは「少女」で、私は大人になりきれないだけなのだ。
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